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ベートーヴェンの頃に、金管楽器にバルブ(ピストンやロータリー)やスライドが付く様になりました。これまで自然倍音しか出せなかった金管楽器が、音階を演奏できる様になったのです。
バッハやモーツァルトは、まさか金管楽器が音階を演奏できる様になるとは夢にも思っていなかったでしょう。金管楽器を音階演奏用の楽器として用いた管弦楽技法は、古典音楽の浪漫派音楽への移行を助長しました。
金管楽器の発達が、音楽の歴史を変えてしまったのです。
以前、母親がくも膜下出血を煩いました。意識不明のまま開頭手術を受け、そのまま10日間意識不明でした。その間、血圧測定、脳髄液排出等を行う様々な機器が、母を見守っていました。
今日では少し大きな病院には、充実した医療機器が揃っています。そして、病院では、大勢の工学の専門家が働いています。
一昔前にはさじを投げられていた幾つもの尊い命を救う手助けを、医療工学の進歩は担っているのです。
この様に、工学は人間生活に大きな影響を与えてきた学問であり、今後もそうであるべきと考えます。そもそも、人類は道具を作り、それを使う事で、人間としての特徴を進化させてきました。
考えてみて下さい、朝起きてから夜寝るまでに、実に多くの工学物体が生活を支えていてくれます。資本主義国家の日本にあって、経済の基本は物々交換であり、またお金ですら工学の産物なのです。
工学従事者は、工学の重要性を認識した上で、誇りを持つべきです。
海外では、工学従事者の技術力は高く評価され、地位と名誉を与えられる社会システムになっています。そんな国の文明文化は、今でも廃れる事はありません。
日本では、「士農工商」制度以後、残念ながら工学の地位は軽視されがちだったと言えます。しかし、資源のない日本においては、工学技術力は持つべき能力の一つとして、今後ますます重要になってくるはずです。
工学は人間生活を有意義にする物や仕組を創る学問と定義できます。一方、工学では、生物の構造やシステムをしばしば参考にします。
即ち工学は、人間(生物)に始まり、人間に帰結します。
工学を学ぶ事は、即ち人間、ひいては人間の存在している自然、人間である自己について学ぶ事であります。
如何なる工学も人間の幸せの為に為されるべきであり、工学従事者は何人もこの事を忘れてはならないと考えます。工学従事者は、工学のみならず、広く人間社会の事を知り、広い視野で学問に携わる事が重要と言えます。
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